2008年08月28日

八木兵の経営の歴史

繊維の町、長者町を代表する会社のひとつ
八木兵の山口社長にお話を伺った。八木兵は、昭和15年、山口現社長の父が創業。
戦中戦後の混乱期を転々と過ごし昭和23年(1948年)長者町にくる。
両親が借金をして2階建ての家で夫婦で始めたという。
戦後の名古屋の焼け野原は何もない鉄筋のビルだけ残っていた。
やがて木造の家がてんてんと建ち始め、長者町にも人が戻ってきたという。
砂利道を自転車をこいで走り回った、まだ少年だったころの記憶。

父と母は前向きな人で、儲からない時代なのにどんどん人を雇った。
雇えば仕事が増えるという発想。
新しく従業員が増えると鯛で歓迎した。
従業員の親戚を集めて、会社の上階の寮にみんなで住まわせ、
食べさせたりお茶やお花といったことまで教育したりした。
人間の信頼関係づくり、教育が経営の基盤という。

見込みのある若い人にどんどん仕事を任せた。
任せた仕事でへまをして少々損しても平気。
失敗しても、人を育てるには仕方ないということ。

仕事を若い者に任せると、父は夜行の汽車に乗って新しい取引先をどんどん開拓していった。
当時、夜行でいける距離が富士、三島までだったという。
すぼん下、パンツ、下着から紳士、婦人衣料、寝具、雑貨と取り扱う品も増やし、
金がたまると土地も買った。
時代に合わせて新しいことをしていった。

山口社長が大学卒業後東京で2,3年働き、八木兵のもとへ帰ってくると
経済成長、オイルショックの時期と重なりどんどん売り上げが伸びていった。
また、カード会社、ファイナンス会社の信用取引をいち早く取り入れ
遠い会社、よくわからない会社と取引したこと。
東京大阪への進出。
台湾、中国への進出。
と積極的な仕掛けでどんどん会社の規模売り上げが伸びた。

同業社がそんな八木兵のやり方を真似して追随すると海外の売り上げは取られていく。
その後、産業の全体的な衰退期。
同業者もさ〜っとつぶれた。

会社の衰退期は勉強になったと山口社長。
時代が変わったのが、わかっていても対応できなかったのが悔しい。
ここ2,3年は、ようやく安定した経営におちついたという。

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山口さんは、まちづくり協議会の会長である。
最後に町への思いを聞いてみた。
全国の都市で魅力ある町にするための活動がされている。
まちはみんなのもんだからなかなか動きができない。
長者町は、年々、地元民、名古屋市の関心が増えている。
努力が実る感触をもっています、と答えた。

特派員 やまぴー


posted by chojamachi at 00:00| Comment(0) | 特派員報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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